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「2020年07月」の記事一覧

まかない回顧録

いろいろなシーンで「おかみとしてのこれまでの苦労を聞かせてください」とよく尋ねられます。
確かに結婚したての頃から子育て期間は苦労の連続でしたが、父母・兄弟はもちろんのこと親しい友人にも打ち明けることなく一人で消化してきました。誰にも心配をかけたくない一心だったからです。

ですので今までこんなことを書いたことがないのですが、これまでのあれこれを回顧録として残していきたいと思います。長文なので興味ない方はスルーしてくださいね。

ときどきブログでもアップする私のまかないデー。今は週に1~2度になりましたが、結婚して10年ほどは夜のまかない作りは私の仕事でした。
当時は今ほどは忙しくはなくお客さまも少なかったので、家族を含め10人ほどでしたが、それも毎日となれば辛いものでした。
夕方16時くらいから厨房の片隅で作り出すのですが、宿に嫁いだとはいえ日々のルーティンには受け入れがたく、特に冬場の火の消えた厨房は肌を刺すように冷たく暗く、たった一人で作る作業は本当に悲しく惨めでした。妊娠中や子育ての真っ最中には授乳をしながら、おむつを変えながらでしたので一層大変でした。

しかし、それよりも何よりも辛かったのが、板前さんに食べてもらうことのプレッシャーでした。
今の調理長に変わる前の板前さんは、板前あるあるで昔ながらの職人肌の少し気難しい人でした。それまで一般企業で勤めてきたごく普通の人間が、いきなり大人数の料理を作る生活に突入したわけです。ただでさえ大変なのに加え、プロの料理人に食べてもらうことの責任の重さ・・・。当然レパートリーなど多くはないですし、段取り良く上手く作ることなどできません。それでも私なりに工夫しながら毎日毎日一生懸命に作りました。でも箸さえつけてもらえない日がたくさんありました。それが本当に辛くて辛くてストレスで。

夕食が終るとあとかたずけをして、ひとり厨房のモップ掛けを終えて、ようやく自宅に帰る日々。当時は車で10分ほどのところにマンションを借りていました。小さな子どもたちを両手に抱え、大雨の日などは子どもたちを濡らさないようにと必死になりながら帰りつく我が家、泣きながら帰ったことは数えきれません。それでも、和歌山に誰一人知り合いもいない私にとって、愛しい子どもたちと水入らずで過ごせる唯一ホッとできる場所でした。

なんだか、文章にするととんでもなく辛く暗〜い感じですが、なにもかもが今となってはいい思い出となりました。それにいろんなことを乗り越えたから今があります。それは大きな経験として、今の私を作ってくれていることは事実で、むしろ感謝しておりますし笑い話になるくらいです。

今はまかないを担当してくれているスタッフの母のような存在の”みっちゃん”に感謝感謝の日々。週に数回のまかないデーが楽しいものに変わったのもみっちゃんのお陰。
これからも、スタッフの笑顔を楽しみに作っていきたいと思います。

という訳で最近のまかない♡

なぜ今になってこんなことを書く気になったのか?というと、世の中には辛いことがいっぱいあって、自分の中でいっぱいいっぱいになったり、鬱になったり、世の中を恨んだり、最悪にも命を断ったり。そんな方に、辛くてもいつかいい時期が来るよ、と言ってあげたいと思ったから。(三浦春馬くんのこと引きずってる〜〜笑)

またアップしますので懲りずに見てくださいね~♪励みになります♡